かそ限界集落

東方と久川姉妹 永遠に更新未定

結束バンド「光の中へ」感想

結束バンドのシングル「光の中へ」の感想+α記事です。思ったこと全部書くつもりでいくぞー。各曲前半感想後半妄想といった構成になっているはず

以前馬鹿みたいな量を書いたアルバムの感想は以下

kasoti.hatenablog.jp

kasoti.hatenablog.jp

 

1. 光の中へ

とりあえずかっこよすぎて草。結束バンドの曲なのは間違いないんだけど結束バンド(アルバム)の結束バンドの曲とはまた違った印象を感じる曲。ここ好きポイントが多すぎて死にそう

サビの畳みかけが本当に好きで、『日々の隙間に意味を落とせ(意思よ宿れ)』で上がりきってからまだ続いていくのが本当に最高。サビ長くない?2回しか来ない分1回1回の盛り上がりの持続が凄くて好きとしか言えない。好き。そして更に上がって上がって上がってからの『束ねていこう何処までも』でエモエモ結束バンド回収をしていくのがまたたまらない

Aメロの謎四則演算はインパクトがかなり強い。演算子が入ってくるだけでどうしてこんなにも惹かれてしまうのだろうか

そしてこの曲で一二を争うレベルで印象的なのが最後のコーラスパート。2,3回目くらいでなんか山田以外の声が聞こえることに気づき、耳を澄ませると虹夏歌ってる~~~~~~~~~!!?!?!?!?!?ってなった。しかも俺は耳が貧乏だから未だに聞き取れていないけど後藤ひとりもコーラスしているらしい。天才か?『きっと』は4人で歌ってるってことだよね?結束バンドが4人で揃って歌っているのがもう…最高。いやもうここだけで価値がありまくりでもう死ぬ。死んだ。情緒が保てねえ

音楽面に関しては理解が浅くて何も言えないけど、「本当に好きな音」のところのドラムがかっこよくて好き。あとラスサビ前の「生まれたよ一つ新しい世界が」のドラムも好き。バスドラがよく聞こえる場所は大抵好き

以下歌詞考察という名の妄想…の前に、新曲2曲を含めた結束バンドオリジナル15曲の時系列の予想について簡単にまとめておきたい。まとめるといってもそれだけで記事が1本できるレベルなので(別記事で出す)、ここでは簡単に記載しておくだけにする。かっこ内はあまりにもマジで自信がない曲。他も全然分からないけど

 

ギターと孤独と蒼い惑星、ラブソングが歌えない、あのバンド

忘れてやらない、星座になれたら、小さな海、(青い春と西の空)

(原作:グルーミーグッドバイ)

(隔たり)

(Distortion!! 、ひみつ基地、カラカラ、何が悪い)

フラッシュバッカー

光の中へ、青い春と西の空

ひとりぼっち東京

青春コンプレックス

 

…といった感じ。ちゃんといつか記事にします

 

時系列の予想を書いたところで、ここから光の中への考察及び妄想

「(私+期待ー不安)×ギター=ロックだ」

「私+君ー時間)÷ギター=ライブだ」

のっけから本当に難しすぎる。勝手に後藤方程式と命名しているが、これの考察が全然進んでいない。一応少しだけ考えたので記載

まず全ての式に共通して登場する「私」は後藤ひとりのことだと認識している。本当にそれでいいのか?「期待」はそのまま期待で、「不安」も同じくそのままの意味。ぼっちに期待を抱かせて不安を取り去るとかなり暴走しがちになると思うけど、それにギターを乗算したらどうなるか。紛れもなくロックですね。1つ目の式はぼっち・ざ・ろっくそのものを表す式と言っていいのかもしれない

2つ目の式。「君」は結束バンドメンバーと考えることとする。ぼっち+「君」から「時間」という存在を引く。それはつまり仲間といると時間を忘れるということではないだろうか。仲間と出会えた後藤ひとりは時間を忘れるほど今を楽しんでいると感会えたら素敵じゃない?そしてギターで除算しているのは、結束バンドのライブは1人でやるものではないから。4人の音が合わさって成立するものがライブだから、ギターで割っている

「本番8小節前」の直後から8小節経つとサビに入るという記述を見かけて天才かと思った。本当じゃん。これについては山田が凄い

「本番8小節前」に「戦々恐々になってる」のはぼっちだけなのか。はたまたほかのメンバーか。そんな誰かを別の誰かが「劣等感ぶっ壊して」「光の中へ」飛び出すように仕向けた。ぶっ壊したのは虹夏だと思っている。というのもこの曲のロゴあるじゃないですか、文字色が虹夏カラーの黄色である上に4つある星マークの中で黄色の星だけちょっと遠いところにあるんですよね。これは虹夏がみんなを引っ張っているということなのでは?そもそも結束バンドの始まりは虹夏によるもの。全ての始まりは虹夏だったことを考えると、「光の中へ」の光が誰かというのは想像しやすいのではないかと思う。このフレーズの「光」はステージの光と捉えられるけど

「生まれたよ一つ 新しい世界が」

ライブ中に生まれる新しい世界。きっと演者にしか分からないであろうその感覚。味わってみたい

「まるで絵空事

問題のフレーズ。「絵空事」といえば「星座になれたら」ですね。「夜広げて描こう絵空事」というように描こうと言っていた絵空事を光の中へで描いてしまっている。星座になれた今だから描ける絵空事は結束バンドがまさに「新しい世界」へ「飛び出した」ことを示唆しているのではないだろうか

「毎分毎秒が奇跡 刹那の煌めき 日々の隙間に意味を落とせ」

後藤どうした???前向きな歌詞しか書いてないぞ。アルバムだと「小さな海」から少しずつ明るくなっていき、「忘れてやらない」からかなり前向きになる後藤の歌詞(「何が悪い」は虹夏作詞と考えている)だが、この曲では全編通して前向きというかなりの異常事態になっている。「日々の隙間に意味を落とせ」はひみつ基地の「今日という日をまた無駄にしよう」や小さな海の「ああまた今日が終わっちゃうのか」に続く日々に対する言及。ついに「隙間に意味を落とせ」とどんな瞬間も無駄にするなと言うようになった後藤の時間に対する感情は、初期とはずいぶん変わっていることであろう

「上手くいかなくても~本当に好きな音」

ただただ前向き。少なくともアニメ範囲のぼっちではないと思う。もちろん段々前向きにはなってきているけど

「頑張ったって爪弾き それでも爪弾き」

天才か???しかもここだけで後藤ひとりというギター少女について表すことができている完璧なフレーズ。神か???

「届けてみよう不器用でも 束ねていこうどこまでも」

ついに結束バンドを回収。最終回?これまで結束、束ねるといった表現が存在しなかった結束バンドの曲だけど、まさかここで出してくるとは

 

「(私+世間ー意思疎通)×理解=アウトだ」

これは後藤方程式の中で最も分かりやすい式だと思う。後藤の知る「世間」は凄く偏った世界。「意思疎通」は上手くできないので当然マイナス。そこにただでさえ薄い「理解」を乗算したら…そりゃアウトになる。この場合意思疎通がマイナスすぎて式全体が負の数になったため、アウトになったとも考えられる

「私+君はバイアス 音÷無限の輪バンドだ」

これマジで分からん。「私+君はバイアス」は2つ目の式に代入可能?バイアスって偏見とかそういう意味ですよね?まあ個性的なみんなと関わっていればそりゃバイアスがかかると考えれば納得できる。「音÷無限の輪」の「無限の輪」が何か分からない。もしかして結束バンドのこと?2番目の式と同様に考えて、音をそれぞれの結束バンドで割ることで結束バンドという「バンド」になる。そういうことかな…分からん!あと結束バンドがどの結束バンドかややこしすぎる

後藤方程式に関しては、直前に数学の勉強をしていたぼっちがノリで「数式風の歌詞を書いたら頭よさそうに見えるしいいのでは!?」とか考えて書いたと考える方がいい気がする。要はそれっぽい言葉を並べただけで意味はない!ただ韻が踏めているので高度な歌詞であるのはそうだと思う。Distortion!!なんて韻を踏みまくっているけど、あれはぼっちではなく喜多ちゃんが書いた歌詞だと思うので、後藤もそういうものをかけるくらい成長したと考えるのもありかもしれない

「現実駆けずり回って 理想が頓挫する実態」

ここも韻踏みパート。つらい「現実」を「駆けずり回って」「理想が頓挫する」のはよくあること。きっと結束バンドも痛いくらい見てきたのだと思う

「幻想捏ねくり回して 離島に正座する正体」

これは以前ネットの意見を見てしまってそれに納得したんだけど、それは「幻想」を「捏ねくり回して」いるのはぼっち。その「幻想」はギターヒーローのこと。「捏ねくり回して」いるのは動画のキャプションの嘘のことではないか、という意見。なるほどなぁ。「離島」は「ひみつ基地」ことぼっちの家の押し入れ。そこで「正座」してギターを弾いている少女がいるのは周知の事実。そう考えるとこの歌詞はギターヒーローである後藤ひとりを端的に表したものであると考えることができる

固定観念取っ払って 予感を察知した今夜」

ここもよく分からない。取っ払われる「固定観念」は世界は怖いだとかネガティブなイメージだろうか。「予感」は…これから楽しいことが沢山待っていそうな気がする、のこと?つまり1話の話ってこと…?

「光の中へダイブする歌」

前述のフレーズと合わせると、虹夏に連れられて光の中へ飛び込んだあの日の後藤ひとりの様子を表したもの?ダイブといえば文化祭ライブだから、そっちの方があり得るかも。あの時もぼっちは観客席に「光」を見ていたはず。そこにダイブした彼女は…伝説になった

 

「日々の隙間に意思よ宿れ」

1番の「意味を落とせ」とそこまで意味合いは変わらないかもしれないが、やはりどこまでも前向きであることには変わりない。後藤ひとりの魂がこれまでかと宿っているのは間違いなし

「理解不能であっても 世迷言としても このスケール このドライブ 本当に好きな音」

曲についての言及だろうか。歌詞が「理解不能であっても」、「世迷言としても」、音は間違いなく「本当に好きな音」である。この曲にもそんな一面があるのかもしれない。歌詞も素晴らしいけど

「束ねていこう 今を 明日も もっと きっと 何処までも」

最後の最後まで前向きだったこの曲の歌詞。結束バンドの世界はこれで終わりではない。何時までも何処までも「束ねて」続けていくのだろう

 

2. 青い春と西の空

「光の中へ」とは打って変わって落ち着いた雰囲気の曲。「恒星」で初披露時の背景と歌詞から江ノ島回を意識した曲であることは間違いないだろう

「忘れてやらない」とは雰囲気が異なるものの、こちらもタイトルを含めて青春を感じさせるとても気持ちの良い曲

歌っていない時に聞こえるチーンが何かと思っていたけどトライアングルらしい。なるほどなー。あれってどの辺に設置するんだろうか。気になる

どう考えてもみんなで江ノ島に行ったからこそ作られたであろう曲。哀愁漂うメロディーとやはり前向きな歌詞がマッチして所謂B面の曲ながらもかなりの名曲であることには違いない

 

ということで以下考察

まず時系列だが、個人的には2つの説があると考えている。1つは文化祭ライブの3曲目説。直前に江ノ島に行ったこともあり、その思い出を元に文化祭用の曲を1つ作ったと言っても違和感はないと思う

もう1つは光の中へと同時期(それはそうなんだけど)で、フラッシュバッカーの後に作られたという考え。これは歌詞を見てこうではないかと考えたから。気になるフレーズが多いんですよね

 

「8月の青空 かき混ぜるみたいに 飛ぶ鳥の鳴き声聞こえてた」

江ノ島に行ったのは8月31日。ギリ8月。「飛ぶ鳥の鳴き声」はトンビの鳴き声だろうか。あなた襲われてましたよね

「汗ばんだTシャツ 真ん中をつまんで 風起こす 電車に揺られて」

Tシャツ姿じゃなかっただろ君。ぼっちどころか全員Tシャツじゃなくて草。まあ真ん中をつまんではいただろうからいいか

「フラミンゴ色に染まる 西の空と私」

フラミンゴ色…はピンクでいいか。染まるというかあなた既にフラミンゴよりもピンクだと思いますけど…

「宙舞う埃がキラキラ反射してる」

なんかもうそれだけで埃が宙に舞う…かは分からないが、何気ない描写が等身大の青春感を表していて好き。埃と言えば「窓際に積んだ埃も」という歌詞が「忘れたやらない」にあったね。性質が似ている(?)から埃に目が行きがちなのかもしれない

「当たり前みたいな顔して 青い春を食らってみたんだ」

1番は「食らってみたんだ」なのでわざと食らったみたいな余裕を感じさせる歌詞。この曲で言う青い春は色々あると思うが、この場合は…どこだろ。江ノ島回の後藤は終始受け身だったから、自分でやったことが…最後の喜多ちゃんとの会話かな。自分で「明日からも頑張れそうです」と言って青春を仕掛けたことを表現しているのかも

「甘すぎてとろけそう でも毒にもなるかも」

本来ぼっちの視点で見れば青春なんて毒にしかならないはずなのに、ここでは「毒にもなるかも」と毒よりは甘い方がメインのように書かれている。青春コンプレックス持ちがこんな風にかけるようになるのは相当後なんじゃないかと思うことからも、この曲はフラッシュバッカーの後ではないかと考えている

「伸びていく影を踏みしめて 早くうちに帰ろう」

「影を踏んで夜に紛れたくなる帰り道」というフレーズが「星座になれたら」にあったが、それを連想させる歌詞。今回は夕方の描写で同じく影を踏んでいるが、踏んでいる影が「星座になれたら」は建物など自分以外の影で、「青い春と西の空」は自分の影ではないだろうか。「星座」の方は自分の影を他の影に紛れ込ませて消した位と思っていたが、今回は自分の影を消さずに堂々と踏みしめている。そこの変化も後藤ひとりが変わったことを示している気がしてしまう

「世界は狭い、なんて大きな嘘だ」

ぼっちにとっての「世界」といえば、以前は暗く狭い押し入れだった。しかし「光の中へ」飛び込んだ今、その「世界」は広いものになってしまった。分かりやすくぼっちの変化が表れているフレーズ。しかし狭いのが「大きな嘘だ」とまで言うようになるのは相当後のことじゃないかな。色々なものを見た後じゃないと言えないと思う

 

「写真には写らない 音や声、匂いが 異常事態 ずっととれないんだ」

現実は写真とは違うということを示していると思われる箇所。実際に味わってしまった青春は中々「とれない」ものであり、青春コンプレックスのあるぼっちはそれを「異常事態」と捉えてしまった。「忘れてやらない」では「絶対忘れてやらないよ いつか死ぬまで 何回だって」と言っているあたり、ぼっちにとって青春は簡単には消えない凄くインパクトの強いものなのだろう。分かるよ

「背伸びし続けてたから 痛くなったつま先 裸足で寝ころべば天井に浮かぶメロディ」

背伸び…してたっけ。景色を見るためにしてたのかな。痛くなったのはつま先どころか全身だったけど。その状態で寝ころんだら意外とメロディは浮かんできていたのかもしれない。寝ころぶと言えば「ひみつ基地」の「とりあえず寝転がる布団」があるが、あちらは「何もすることがないから」寝ころんでいたのに対して今回は江ノ島で青い春を経験してから寝ころんでいる。そこの違いも過去と現在、はたまた未来との対比を表しているのかも

「青い春を食らってしまったんだ」

「食らってしまった」という受け身が江ノ島回の後藤にはよく似合う。みんなで食べたたこせん、謎テンションで取った自撮り、ちょっとしか見なかった景色、帰りの電車での喜多さんとの会話、様々な青春をぼっちは「食らってしまった」

「白旗を掲げてる 熱くて火傷しそう」

「白旗」はトンビに対してだったらかなり面白いが、恐らく「青い春」に対する降参の意思?そして「火傷」してしまうくらい熱かったので、相当な衝撃を「食らってしまった」のだろう。やっぱり喜多ちゃんとのあれかなぁ

「薄くなる影を見つめてた 太陽が出ないとさ 誰だって色濃く生きれないよな」

ここが最大の問題点。後藤ひとりが太陽を受け入れているのはまさに異常事態。アルバム範囲で見ると、結束バンドの歌は殆ど夜(忘れてやらないだけは日中だけどこの曲は学校の青春を描いているので例外)。しかし13番のフラッシュバッカーで朝を受け入れ、14番で朝が降ってくる。そんな感じでぼっちが朝、というか太陽を受け入れるまでにはかなりの時間を要しているのだが、この曲は太陽の必要性を説いている=太陽を受け入れたということなので、かなりの異常事態である。この曲がフラッシュバッカーの後だと考えている最大の理由はここ

まあ喜多ちゃんに照らされたらアニメ範囲でも太陽が好きになるとは思うけどな!

 

「青い春を食らってゆくんだ」

これからも「青い春を食らってゆく」という覚悟?の現れ。決して諦観やネガティブなものではなく、結束バンドのみんなとなら「青い春」を食らってもやっていけるという後藤の心情だと考える

「甘くても痛くても 燃え尽きるその日まで」

やはりぼっちにとっての青春は「甘く」「痛く」あるものである。それでも「燃え尽きるその日まで」「食らってゆく」と決心している。「燃え尽きるその日」はいつだろうか。結束バンドが解散する時…かな。この辺未来のことを書いているので文化祭ライブ3曲目説の方がしっくりくるかも。この曲いつできたんだよ…

「消えていく影に手を振れば 頭上に星のヒカリ」

星…星座…

「世界は広い、なんて信じてもいい?」

狭い世界にいたぼっちが最後には「世界は広い、なんて信じてもいい?」とまで考えるようになった。そのくらい江ノ島の思い出は彼女の世界を広げたのかもしれない。もっと遊んでやれよ!

 

以上、「光の中へ」に触れて思ったことでした。前提として原作でぼっちがどのように歌詞を書いてあるかが言及されており、自分の考えはそれを全く無視しているものになっています。なので馬鹿が何か言ってるなーくらいに留めておいてください

もしかしたらあるかもと思っていた結束バンドの新曲が思っていたよりも早く来た衝撃は本当に忘れられない。本当に感謝。ありがとうございます

アニメが終わって半年以上経った今でも供給が続いているのが本当に凄いと思っていて、この作品に触れられる時間が多くて嬉しい限り。原作の展開も凄く面白いし、ぼっち・ざ・ろっく!最高としか言えないです

 

Thank you.