かそ限界集落

東方と久川姉妹 永遠に更新未定

ぼっち・ざ・ろっく! アルバム 結束バンド 感想など(後半)

アルバム「結束バンド」感想後半戦。無駄に長い

カラカラから最後までと蛇足

8. カラカラ

4~7話ED曲。全力で寂しい雰囲気がおしゃれさを纏っていてとても奇麗な曲。ED映像の哀愁漂うぼっちもかわいい。初登場の4話はアー写が壁一面に張られた部屋でぼっちが「ふへへへへ」って言うオチから唐突に始まるのでなんかもう…何?って感じ。リョウさん歌唱だけど歌上手いですね。暫くの間気づかなかった

ED映像はぼっちしか出ないけど歌唱者がリョウさんだし歌詞的にもこの曲もリョウさん曲でしょう。「重大な問題抱えて眠る」山田っぽさが凄い。「君が眩しいから私は影になれる」この「君」は虹夏ちゃんだろう。ぼっち山田⇔虹夏喜多の対比でもありそう

「カラカラ騒ぐ思考飛ばして 前借りしてるこの命を 使い切らなくちゃ今この瞬間も」マジで重い歌詞だけど2巻テスト勉強回やアニメ9話より文字通り「カラカラ」鳴る小さい脳みそが思考飛ばして(忘れて)るだけ、前借りしているのはお金定期が正解でいいよもう。金借りるな。真面目に考えるならサビの歌詞はリョウさん→虹夏ちゃんへの激重感情じゃないかな。前借りしている命は虹夏ちゃんに甘やかされて生きながらえている自分のこと。「ダラダラ過ぎる日も~消えてしまう前に」虹夏ちゃんは間違いなく作中でいちばん重いキャラなので彼女のことを案じているってことかな。リョウさん虹夏ちゃんのこと相当好きだろうし

1番と2番の間の「イェイイェイイェイ」の適当な感じも山田っぽい

「自慢の武器など一つもないけれど」これはぼっちらしさがあるけどリョウさん→虹夏ちゃんの曲だとするならベースは武器にならないと思っている?虹夏相手に相当奥手ってことでいいすか

「スカート揺れる教室の隅で ずっと溢れる夢を抱きしめてた」夢を一番もっているのは虹夏ちゃんだと思うのでここはリョウさんから見た虹夏ちゃんのことだと考えておく。その夢を叶えるために本人は「やれるわ」と決意した

まとめると山田→虹夏への激重感情ソング。リョウさんの方が死にそうで切ない

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3人の距離とぼっち-3人間の距離がさらに近くに。ぼっちがどんどん歩み寄ってきているのが泣ける

9. 小さな海

アルバム新録曲その3。カラカラに続いて切ない曲。定期的に来るドラムの16分が好き。途中から少し明るくなるのがまた良い雰囲気を作っていて上手いなと思う。それでもずっと切なくて泣きそうになる

多分ぼっち→虹夏曲。「あぁ また今日が終わっちゃうのか」「ひみつ基地」で「今日という日を また無駄にしよう」と言っていたのに1日が終わるのを惜しむようになっている。ずっとぼっちがべそかいてる。虹夏ちゃんを中心に何かもらうことを求めているけど自分自身のことは嫌で「さんざん鳴いて泣き腫らして 枯れた海」を作っている

「今よりも少しだけ 明るくなれたらいいな」直後に曲長が少し明るくなる(というか音が増える?)。心境が変化したことにより「ねぇ 今日はまだ終わっちゃいない」と少し前向きになった…わけではないかも

「いっそ 朝が来なければ」朝が来るのを拒否するのは「暗く狭いのが好き」だから。「眩しい」から。「丸めた背中がまた 小さくなる」は「猫背のまま虎になりたい」と言い出す前?背中を丸めることを悪いことと見ているっぽい

「いつまで待っても~僕の 僕のせい」「僕の光になって 行き先を照らしてくれよ」自分が悪いと分かりつつも光を求めてしまう。それはもう1回光によって道を照らされてしまったから。依存してしまったから。光がないともうだめなんだとでも言いたげに

「完全無欠の主人公みたいには なれない性分」ここマジで関係ない要素で反応してしまう自分が憎い。いやまあ文字通りだしぼっちと同じ気持ちです

「せめて この海で泳がせて」自分の涙でできた海は自分の世界だからせめてそこでだけは輝きたい?

「散々雨に降られたって 笑っていられる 君のこと 普通に 羨ましいけど」どう考えても虹夏ちゃんのこと言ってる。「羨ましいけど」見ていられないから「だんだん僕も君みたいに 強くなってさ」

「いつかまた遠くで 会えたら手を振り返して」別れの後の決意?ずっと虹夏ちゃん(ほか2名も)のことを遠くに見ているからこんなこと言ってしまう。横に並びたいとかじゃなくて遠くで手を振り返したい。ぼっちの誰にも救えない心。でも…

重くない?ぼっち重すぎない?仕方ないかもだけどこの作品重くない?きららってやっぱり重いんかな。比較対象ゆるキャンしか知らないから分からん

10. なにが悪い

8~11話ED曲。8話のこれは何度でも言うが最終回のエンディング。あの流れで虹夏ちゃん歌唱曲とかもう…泣ける。なお9話からは…いやほんと虹夏ちゃんの大事な曲なのに喜多ちゃんさあ。あれ除けばほんとに切ないけどいい曲

作詞したのも虹夏っぽい。母親を亡くしている虹夏ちゃんからリョウさんとぼっちへの、カラカラと小さな海へのアンサーソングだと思う。要素詰め過ぎ。虹夏ちゃん重すぎるよ…

「青春でなにが悪い」青春し始めたぼっちのセリフかもしれないし虹夏ちゃんのセリフかもしれない。ぼっちの言葉ならかなり前向き、虹夏ちゃんの言葉ならかなり重い

「ねぇどうして止まらない~僕を僕でいさせてくれた」音楽だけが自分を保つ唯一のものだった

「赤色に染まる空 僕の心は何色なんだろう」喜多ちゃん関係なさそう。自分の色=アイデンティティを探し中と考えるならぼっちにも当てはめられそう

「おしえて 僕は何処へ向かえばいい?」母親を失ってずっと彷徨っていたのかな。「いつか失くしてしまうものばかりなら 強く刻んでおこう(今!)」これ以上大切なものを失わないように、たとえ失ってしまっても…

「(あいむ あらいぶ なう いぇ すぷりんぐたいむ おぶ らいふ)」

I'm alive now yeah. Springtime of life.

alive=生きている。今を生きているなんてありふれた言葉だけど虹夏にとっての重みは相当なものであるはず。2文目は青春って訳で良さそうだけどspringtimeは普通に春の意味もあるみたいで春の間というニュアンスを持つらしい(あまりにも無知)。「人生の春の間の今だけ生きている」と無理矢理意訳してみる。即ち春が終わったら死ぬ。その春はいつまでだろう。夢を叶えたら死ぬのか?虹夏ちゃん。流石に強引クソ意訳なのであれだけど

「ねぇどうして触れてみたい 触れらんない未来が 今日も僕を惑わせてる」二度と触れられない失ったもの。STARRYを有名にするという無謀にも思える夢

「皆んなは知らないあのバンドの曲 君にだけ聴かせたいんだ」「あのバンドの曲」を「君にだけ」リョウさんにとって「あのバンド」の曲は嫌なものだけど虹夏ちゃんの知る別の「あのバンド」の曲を聴かせたい。虹夏→山田へのカラカラとあのバンドへの答え。虹夏の「あのバンド」は結束バンドのことでもっと私だけの音を聴けという意味かも

「なにもが悲しいほど奇麗で なんかね寂しくなったよ」これを思ったのは今なのか過去なのか。現在だとしたら中々にやばいと思うんだけど。崩壊していってないか?

ちょいちょい口悪いのはこれが彼女の本性というかいつも明るさで乗り切っているけど叫びたいこともあるのは当然だろ

「心は透明だ!」1番の歌詞に対する答え。何も色が必要とは限らない

「心臓がうるさく僕に伝えんだ」ギターと孤独と蒼い惑星へというかぼっちへの返答。「行こうぜ ずっと先へ」と。ヒーローとどこまでも先へ進む決意。最後の「あのね、その後が言えた日の笑顔も」は1番サビだと「あのね、その後が言えなかった日も」この「その後」って5話で「ぼっちちゃんにはまだ秘密」にした夢の「その先」かな。8話のライブ後には「その後」が言えたから。ぼっちと出会って「なにが悪い」と言えるようになった。だからこそこの曲は8話のEDになった。最終回だもの

中指ネタあるじゃないですか。あれを正当化します

結局解釈としては「なにが悪い」はリョウさんとぼっちが虹夏ちゃんに向けた切ない歌(カラカラと小さな海)への切ないアンサーソングの側面を持っているというもの。どの曲も重くてつらい。ところで喜多ちゃんはどこへ行ったのか。その答えが中指。しみったれてんじゃないと先輩とぼっちに当てつけるように中指を立てた。3回やってるのは3人に1回ずつ見せつけるため。そうでもしないと本当に重すぎて全員潰れてしまいそうだったから。一番ロックを理解していないけれど私よりもロックな人たちに向けて全方位中指をやってやったんだ。ありがとう喜多郁代。お前は最高にロックな救世主だ

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順調に距離が縮まる。ぼっちだけまだ少し遠いけどそれも時間の問題。結束バンドはどんどん締まっている

11. 忘れてやらない

12話劇中歌というか実質OP曲。12話が始まると同時にスティックが4回鳴って演奏が始まる。まるで11話と12話の隔たりなどなかったように。最初マジでかっこよくないか?文化祭ライブということもあってかゴリゴリの青春全否定青春ロック。最終回感が…。注目すべきは喜多ちゃんの歌い方。今までと比べても表現力が段違い。もうプロじゃん。文化祭編が喜多ちゃんの成長を描いているものだからいいんだけどえらいとこまで来てるな。凄いわ。「知らんぷり」の歌い方好きすぎるし「笑ってやんのさ」の所でウインクするのかわいいね。曲の終了と同時にタイトル出てくるのほんと好き。泣ける。あとクソつまらんこと言うけどめっちゃ歌詞に共感できる。「絶対忘れてやらないよ いつか死ぬまで何回だって こんなこともあったって 笑ってやんのさ」が本当に好き。執念を明るく爽やかに告げてるのがとても良い

アニメだと誰メインとかじゃなく4人の曲、ちょい喜多ちゃん無双って感じだけど歌詞見るとぼっちと虹夏ちゃん要素が強めかなあと勝手に思ってる。一つ目の理由は青春全否定だけど青春ソングということで「なにが悪い」とセットというか対であるような曲だから。もう一つの理由として公式動画だとこの曲も教室内の風景を前面に押し出しているんだけどこれは「ギターと孤独と蒼い惑星」と同じ。あっちは暗いのに対して忘れてやらないは明るい教室を映しているのでぼっち虹夏で対になっている

「ぜんぶ天気のせいでいいよ この気まずさも倦怠感も」「突然降る夕立あぁ傘もないや嫌 空のご機嫌なんか知らない」早速答え。んなもん天気のせいでいいんだよ。ぜんぶ雨が悪い。でもよく考えたらぼっちはギターと孤独で雨嫌がってるくせに青春コンプレックスでは「雨に濡れるのが好きだった」って言ってるんだよな。過去形だから今は嫌ってる解釈でいいのか。青春コンプレックスはその名の通りぼっちがバンドに入る前までの習性の話メインだろうから今はもう雨は嫌。虹夏ちゃんと同じ考えをするようになったということか。これは自論なんですが自分は雨は嫌いだけど雨に濡れるのは好き。頭おかしいかもしれないけど一旦濡れてしまえばもうどうでもいいんですよ。だから青春コンプレックスとギターと孤独と蒼い惑星で矛盾は生じていないかもしれない。あくまで俺の考えなので何もあてにならないけど

「青い春なんてもんは 僕には似合わないんだ」さっき「青春でなにが悪い」って言っていたはずなのに?これあっちでなにが悪いって言っていない方の台詞かな。ルート分岐。2人ともこの言葉は似合うし。「一度しかない瞬間は 儚さを孕んでる」虹夏ちゃんは言うまでもなく知っている。ぼっちは…バンド始めてから沢山経験してきているはず。別にそれ以前でも感じることは可能じゃないかな。例えぼっちでも…どうかな…。「絶対忘れてやらないよ いつか死ぬまで何回だって こんなこともあったって 笑ってやんのさ」ぼっちにとって作中の出来事は絶対忘れられない思い出の数々だろうから死ぬまで思い出し続けて笑ってやれる。「笑ってやんのさ」だから嫌な思い出も全部ひっくるめてってことだね。そこまで前向きに考えられるようになってきてるあたりかなり変わったな。曲番号が進むごとにぼっちの思考がどんどん前向きになっている。一方虹夏視点で考えると「絶対」「死ぬまで」といったワードが二度と大切なものを手放したくないという確固たる意志を感じられるものに。それでも笑ってやると。いつも明るくふるまう理由はこれ?笑ってやればまだつらくないから何もかも笑ってやんのさ

「キリトリ線で区切れた僕の世界」ぼっち視点だとクソ分かりやすい。虹夏視点もほぼほぼ言葉通りだけどそもそも虹夏ちゃんは少なくとも多少は青春してるはずだろうし。「嫌いな僕の劣等感と 他人と違う優越感と」ザ・陰キャ思考だと思う。分かるよぼっち。虹夏ちゃんは前者は感じていそうだけど優越感はあまり感じていなそう。もう分からん

「『わかるわかる、同じ気持ちさ』ホントにそう思っていますか?」ここぼっちはそういってもらえる相手すらいないと思ってる。話を聞いてくれそうな人たちは家族やバンドメンバーくらいな気がするけどその人たちは多分ちゃんと聞いてくれるんだよな。山田は…。なのでここは虹夏ちゃんと喜多ちゃんの言葉かなあと。友達が多い人ほどありがちな話だと思うし。プラスで虹夏は家族を失った痛みに関しても…?

「誰かが始まる今日は 僕には終わりの今日さ」虹夏ちゃんにとっての終わりの今日はあの日。「繰り替えす足踏みに 未来からの呼び声が 響いてる 『進めよ』と」その日で止まっていたけれど結束バンドや姉達の未来から呼び声によって再び進み始められた。「運命や奇跡なんてものは きっと僕にはもったいないや」虹夏ちゃんの夢って本人も無謀なんじゃないかって言ってたくらいなので運命や奇跡が必要なものだった。そう考えるとこれはぼっちの言葉。本人的に結束バンド、虹夏ちゃんとの出会いは奇跡だと思ってるかもしれないけど「もったいない」とも思っている。その諦観を示してしまう思考こそぼっちらしい。いくら前向きになりつつあろうとも人間そう簡単に変われない。だから「なんとなくの一歩を 踏み出すだけさ」

「オトナほどクサってもいなくて コドモほど天才じゃないが」大人子供をカタカナで表すことで一般的な概念から外れた物差しでオトナコドモを決めている?ここは虹夏ちゃん視点かなと思っていて、「オトナ」は姉とか駄目な大人たち(山田も含んでいいと思う)でどいつもこいつも腐ってるけど見下しているわけではない。「クサって」いるからこその良さも見出しているんじゃないかな。反対に天才である「コドモ」は後藤ひとりや喜多ちゃんといった年下勢のこと。ぼっちは天才というか秀才だけどギターをガチでやる才能はあったわけだし喜多ちゃんはギター始めて4か月でライブに出られるレベルで上達が早い天才かもしれない女。そんな彼女らのことを天才と評しているのではないか。自分は天才じゃないって意味も含まれるから諦観もある。一巻時点とはいえドラムの自己評価が「ふつう」だし。「僕は今 人生の中間だ」自分はオトナとコドモの中間。高2、3あたりって人生の体感時間の中間点であるという考え方があるので虹夏ちゃんは本当に人生の中間にいる

「風においてかれそうで 必死に喰らいついている」自分以外の人たちはみんな風みたいに速くてすぐにおいていかれそうで。なんとかおいていかれないように必死に生きるしかない。ぼっちにも虹夏にも言えると思う

「いつもの鐘の音も 窓際に積んだ埃も 教室の匂いだって」学校を辞めたがっているぼっちの要素は一見ないようにも思えるが嫌でも鐘は絶対聞くし人と関わらないぼっちだからこそ窓際の埃なんてもんを気にすると思う。そういった学校のあれこれさえも「絶対忘れてやらないよ」って思い出に加えてしまう。青い春なんて似合わなくても

この曲ほんとに大好きで。背景はとんでもなく重い解釈ができるし歌詞は暗いのに曲は眩しいくらいに明るくて爽やかでいっそ死にたくなるくらいなのが最高で。別作品で言うならサマーサイダーもそうなんだけど

以上2曲連続で虹夏ちゃんメイン曲という解釈。死を出してくるのに底抜けに明るいのが逆に重い。結局ギターと孤独との関連はほとんど見つけられていないけどぼっち×虹夏はいけると思う。でもギターと孤独はまだ仕事を残しているので次行こう

12. 星座になれたら

12話劇中歌。どう聴いても最終回の曲です泣きます。アニメバージョンも凄く良い。ずっと横で見ていた人の影響を受けて喜多ちゃんが猫背の虎になるシーンほんといいね。あそこって喜多ちゃんだけじゃなくてドラムとベースもちゃんとリードギターの異変に気付いて合わせてくれているんですよ。4人で支えあっているのが青春コンプレックスのOP映像との対比にもなってかなりエモい。エモエモのエモ。ボトルネック奏法は相当うまくないとできないみたいでやっぱり後藤ひとりってやばいんだなってことを再確認。この曲も切ない曲だけどロック…ロックか。後半曲みんな涙腺殺しにかかってくるのずるい

歌詞は結束バンド4人全員の混じりあいでちょっとぼっち×喜多強め。世間で言われているほどぼ喜多ではないと思う。勿論アニメのこともあるしド直球部分もあるけど

最初にジャケット絵の話。喜多ちゃんが踏切の前で振り返りながら手を伸ばしている。これとセットになるのが同じく踏切前にいる「あのバンド」のリョウさん。だから恐らく喜多ちゃんが笑顔で見ている先にはリョウさんがいると考えていいと思う。他の根拠は「ギターと孤独と蒼い惑星」と「忘れてやらない」が学校繋がりでセットだから。ただこれはあくまで絵の話。歌詞を見ると絵のペアはあまり成立していない

「もうそこに一番星」最初に見えている星は…。「影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道」影といえばギターと孤独の「わたしのダサい影が より色濃くなってしまうだろ」影が色濃くなるのは眩しいから。夜に紛れたくなるのも眩しいから。でもそれが嫌というよりはその眩しいものをよく見たいから?都会から星ってあまり見えないんじゃないですかね。田舎の方が見えると思う。知らんけど。「どんなに探してみても 一つしかない星」その一つしかない星はまあ喜多ちゃんでしょう。あるいはひとりでしょう。「何億光年 離れたところからあんなに輝く」少なくとも喜多ちゃんがひとりちゃん、ぼっちが喜多ちゃん呼びし始める前は2人にけっこうな心の距離があったと思う。だから何億光年も離れている。けどお互いの光はとっくに見つけている。ところで「何億光年」⇔「幾億年」距離と時間という違いはあれどその長さという意味では同じと捉えられる。隣にいる人の「いっぱいの音」を聞いて「幾億年」「聴いて」欲しいし見つけて欲しい

「いいな 君は みんなから愛されて」世界一わかりやすいぼっち→喜多。喜多ちゃんへの憧れは確実に持っているぼっち。でも「いいや 僕は ずっと一人きりさ」と諦めている。ぼっちは中々に自己犠牲型ですね

「君と集まって星座になれたら」ほかのメンバーに向けた言葉ではありそうだけど君って対象が1人だからやっぱり喜多ちゃんなのかな。「空見上げて 指を差されるような」誰かと一緒に輝くことで自分も誰かに愛されるんじゃないかという考え?やっぱり諦めていても憧れは消えない。願ってしまう

「きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル」シグナルには信号機の意味もあるらしい。喜多虹夏山田で信号機

「つないだ線 解かないで」結束バンドはそう簡単には解けないはず。でもいつか切れるかもしれないから願いを込める。「僕がどんなに眩しくても」僕がどんなに眩しく(感じてしまっ)てもなのか僕(自身が)どんなに眩しくてもなのか。眩しいのはぼっち自身なのか他なのかで解釈が分かれるんだけど…。自分が眩しいならほかの人たちに向けて自分だけ眩しくなってしまっても線は「解かないで」僕の前からいなくなってしまわないでという願い。後者なら君が「どんなに眩しくても」捨てないでという願い。ギターと孤独では「眩しい 眩しい そんなに光るなよ」と言っていたのに眩しいこと自体はもう拒絶しない。眩しくても解かないでと願う

「夜空に満天の星」ほかの光も見え始めた。その代わり一番星の光は見えづらくなってしまって「何億光年 離れたところにはないかもしれない」

月がきれいで 泣きそうになるのは」月がきれいですね。アイラブユーで使ってる?次の歌詞にかかるからそれはないかもしれない。使っているならぼ喜多てえてえとでも言っておけばいい?

「いつの日にか 別れが来るから」月は他の星が見えない日にも見える。月しか見えない日は月が一番星(そんな考えなさそう…)。その一番星の存在が大きすぎてきれいで存在をより実感してしまうから。いつか月は沈んでしまう。別れもいつか起きてしまうもの。そんなでかいものを失うことを考えると泣きそうになってしまう

「消えていく 残像は 真夜中のプリズム」プリズムは光を分散させるあれ。4色が集まっていたのに離れてしまう。いつの日にか別れが来るから

「変われるかな 夜の淵を なぞるような こんな僕でも」淵をなぞる=中心にはいないとすれば自分は脇役だと認識している。ぼっち的にはボーカルを目立たせるための脇役が自分。喜多ちゃんにとってはみんなにかっこいい後藤さんを見てもらうための脇役が自分。虹夏と山田目線だと文化祭の主役はぼっちと喜多だから2人のために自分たちは脇役に。みんな誰かを立てるために脇役になれる(文化祭云々は厳しいけど)。そんな自分でも輝けるかな

「遥か彼方 僕らは出会ってしまった カルマだから 何度も出会ってしまうよ」4人が出会ったのは宿命。偶然の集まりみたいな出会いだったけどそんなことはない

「雲の隙間で」間から星が見えるはず。「輪郭のない雲の 表情を探してみる」って忘れてやらないにあったけど雲を見続けたからこそ出会えたのかもしれない。なお「太陽は隠れながら知らんぷり」

「暗闇を 照らすような 満月じゃなくても」そこまで眩しくなれなくても君となら

「君がどんなに眩しくても」こちらは「君」ってことは君が遠くに行ってしまいそうでも放さないってことかな

書いてるとき当該曲ずっとループしながら書いてるんだけどこれずっと聴いているとほんともう切なくて切なくて。まとめると1番はぼっちと喜多ちゃんメイン。以降は4人のつながりをこれでもかと詰め込んでいるって感じ。最終回の曲にぴったりだ

星座って集まっていないと駄目だけどくっつくほど近くにいなくてもいいんだよね。本当は密着したいくらいだけど星座と表現することでどこか後ろめたい気持ちを出しているかもしれない

やたら4人の曲というのを推しているのは星が2つだけで構成される星座ってあるの?と思っていたからなんだけど…あるんだ(無知無知の無知)。だとしたらぼっち×喜多全然ありだね。いや元々ありだと思ってるけど2人メインと捉えるのもありだね。そう考えるなら喜多ちゃん作詞者説もいけそうだし2人で書いたかもしれない

〇  

信号機たちがくっつく。ぼっちもあと一歩で接するところまで来た。集まって星座になるまでもう少し

13. フラッシュバッカー

12話放送後に公開された本PV内で流れる曲。本PVが言わば「きれいなぼっち・ざ・ろっく!」でギャグシーンが皆無。なので7話のシーンが一切なくて9話もラストの電車シーンが一瞬映るだけ。あんなの見せられながらこの曲を聴いたらどんなに目を背けても終わりを実感せざるを得ないし2期の可能性など微塵も感じられない。アニメぼっち・ざ・ろっく!は終わったんだ。続きもないんだ。さようなら。ありがとう。これ無限ループして聴くのつらいので手短に済ます

「転換点 いつかノートに 書いたあの言葉たちは きっと 泡になって消えた 行方なんて知らない」これ4話から始めた作詞と作詞ノートの話?「いつの日か 別れが来るから」でその時が来た後の話?「転換点」はギターを初めて触った日か虹夏ちゃんに出会った瞬間だとしてどちらもかなり重要。それが消えたってどういうこと…

「まるで星屑みたいだと 見とれていたんだ 嗚呼」星座となった星たちは星屑になって落ちていった。結束バンドもなくなってしまったのか

「光る朝が 朝が あまりに 眩しい 眩しいからさ」どこまで行っても眩しいのはやっぱりだめで。初めて書いた歌で「眩しい 眩しい そんなに光るなよ」って言ってるし1曲目で「暗く狭いのが好きだった」と言ってるし小さな海で「いっそ 朝が来なければ」とも言っているしそもそもほとんどの歌詞が暗いんだから朝というものを極端に拒んでいる。「なんかもう それだけで 心が宙に舞う 君の言葉がずっと 離れない 離れない フラッシュバッカー 今も思い出してる」朝が来るとフラッシュバックする。普通何かがフラッシュバックするのって寝る前=夜なイメージが強いけど夜型っぽくて暗いところで生きてきたひとりにとっては朝の方がつらい時間帯なのだろう。そういや1話でフラッシュバックして頭をガンガン打ち付けているけどここでフラッシュバックしているのはいい思い出が主だろう。状況が真逆。いい思い出ほど思い出すとつらくない?俺はつらい

前提としてひとりの独白という解釈。「こんなちっぽけな僕の 背中を包んでく」小さな海で朝が来ないことを願った背中が小さくなっていたけど朝が来たら「薄明に染まる空が 淡い彩りこぼして」背中を包んでくれる。守ってくれるという解釈でいいんだろうか。それとも包み込むことで更に小さく丸く猫背にしているということ?そんなに猫背になると虎にもなれないんじゃ…

「透明なこの体は 何色になれるの?」なにが悪いで虹夏ちゃんが出した答えは「心は透明だ!」なのに対してここでのひとりは何か色を欲している。別れを経て透明になってしまったからまた色が欲しい?このままだと「ただ 水のように流れ 消えてゆくだけ」だから?

「『ぼやけたままのフォーカスじゃ 君のホンモノは写せないよ』寂しげな顔で 君が笑う」君って誰?フォーカスがぼやけてしまっている君は誰?写真といえば4話。虹夏ちゃんが手でカメラの形を作るやつやってたね。あの時の被写体はぼっちだった。壊れてしまったのはひとりだけじゃないのかも

「ちょっとさ らしくはない 未来も信じちゃうよ」らしくはない未来って?「呼び声」が来ていない未来を信じてしまうんだとしたらその未来は思っていた未来じゃない。どこかで狂ってしまったか

「君の言葉をぎゅっと 離さない 離さない」離れないのではなく離さない。フラッシュバックってネガティブなワードだけど、それによって思い起こされたものを離さないということはやっぱりその思い出は大事なもの。たとえつらくても忘れてはいけない思い出。そう、アニメぼっち・ざ・ろっく!のように。終わった事実を受け入れなさい

この曲文化祭の3曲目になるはずだった曲かな?番号的にあり得るけど文化祭のラストでこんな曲流すかな…。まああのバンド流すよりは…切ない曲は定番だし

え待ってほんとにつらすぎませんかこの曲。絶対に最終回の曲じゃん。最終回で流れてはいないけど。ほんと本PVなんなの。そういうアニメじゃなかったじゃん!歌が終わってからの余韻が長すぎる

14. 転がる岩、君に朝が降る

12話ED曲。ぼっち歌唱が来るのは読めていたけどまさかカバー曲とは。ツイッターで青山さんとかが言ってるのを見かけたけどぼっちが私なんかが本当にこれを歌っていいんだろうか的な感じで歌っているらしい。実際その感じかなり伝わるしEDの中では唯一これだけ一発で誰が歌っているか分かった。そのくらい後藤ひとりが歌っていることが分かりやすい。12話後半はいつも通りのギャグ中心でゲーミングムキムキ虹夏を出すくらいだったし最終回とは思わせない内容だったのにこれ流されたら流石に最終回です。ぼっちが歌っちゃったら終わりなのは分かっていた。ちなみにカバー元さんのことはこの作品知るまで全然知りませんでしたごめんなさい

歌詞についてはカバーなので考えるのはなしで。ただぼっちにもすごく合っている歌詞だと思う。「ローリング ローリング」の語感が好き

朝をあれだけ拒んでいたのにこういう形で朝を迎えるのはずるいと思います

 

4つの輪の最終形態見ました?最後は全部の輪が絡み合う。いつからこの状態かは知らないけど結束バンドはかなり依存しあっていると思います。素敵だね。歌詞カードの裏表紙には本当の最終形態が描かれていてぼっちが3人にぶら下がる形に。まあ虹夏ちゃんが隣だからぼっちが一番依存しているのは虹夏ちゃんだという表れかもしれないけど。あとリョウさんへの絡まり方が虹夏ちゃんと喜多ちゃんで同じになっている。何も考えずにあの図形作るならこうはならないと思う。イメージとしては山田が両脇の2人に腕を絡められて引きずられている感じ。同じくぼっちも虹夏ちゃんに引きずられているっぽさがある。結束バンドらしいな

そういえばアー写撮影時や文化祭で全員が黒い結束バンドを付けているのって黒が4人の色を混ぜてできる色だからってことなんですかね。それぞれが個人色のものを付けるより結束感あって素敵

 

アニメに出てきた曲は大体出た順に作られたと思ってよさそうだけど出てない曲はいつ作られたのだろう。アルバム初登場の3曲は順にDistortion!!、ギターと孤独と蒼い惑星、カラカラorなにが悪いと同時期くらいだと思っている。フラッシュバッカーはとりあえず文化祭曲と同時期ってことで残りは最初の2曲。青春コンプレックスは題名が題名なだけに相当後になって作られたと考えるのが妥当だろうか。ひとりぼっち東京はまあセットだとして

 

曲番号がアニメの同じ数字の話数のテーマ曲となっている説を勝手に考えた

1話→青春コンプレックス:全ての始まり。青春コンプレックスの塊である後藤ひとりの第一歩

2話→ひとりぼっち東京:東京へ通う理由が学校以外にもできたぼっちが東京について理解を深めていくと考えれば。誰もがひとりぼっち東京

3話→Distortion!!:喜多ちゃんメイン回その1で喜多ちゃんボーカルなので。言うほどこの曲が喜多ちゃん要素ないのはそうなんだけど

4話→ひみつ基地:広がるパノラマ。外出してるしまあそれっぽいでしょ。あとぼっちの部屋も秘密基地みたいなもんだし(やばい部屋だけど)。(アー写を)作っちゃえばいいんだ全部

5話→:ギターと孤独と蒼い惑星:言うまでもなく。5話ってけっこう色々詰め込まれてるよね

6話→ラブソングが歌えない:厳しい。鬱憤晴らしみたいな曲だし廣井紀久利に対するそれだと思えば(無理がある)。まあラブソングは一切歌っていないし?

7話→あのバンド:無理がある。唯一のギャグ全振り回だし山田の出番が最も少ない回だし…

8話→カラカラ:厳しい。夏だし喉がカラカラってことで(黙れ)。でも雨降ってたからそこだけは合うか

9話→小さな海:確かにぼっちの心の内は終焉してるけども。唯一の海回だから合ってる!!

10話→なにが悪い:どう考えても8話の曲だけど文化祭といえば青春。まあそれなりに青春してる内容だし。新宿パートは知らん

11話→忘れてやらない:文化祭といえば青春!だけど主人公は青春コンプレックス女だから青春全否定ソングがぴったりですね!!実際かなりの青春回だと思うのでこれはあり

12話→星座になれたら:完璧

13話→フラッシュバッカー:ぼっちのフラッシュバックがここに来て重要な役割を果たすなんて意外でした!

14話→転がる岩、君に朝が降る:1話と12話の伏線をまさかここで回収するとは恐れ入った

まあ冗談は置いといて後ろ2曲も合わせて12話のテーマとして完璧だと思う

 

一人称問題

歌詞の一人称について。1, 8曲目が「私」、2~5と7曲目が「わたし」、9~14曲目が「僕」となっている。二人称は一貫して「君」

これは気分って言われたらそこまでですはい…。先に唯一一人称が出てこない「ラブソングが歌えない」についてなぜ出てこないか考えると、あの曲は他のものに対して不満をぶつけまくる曲だから自分とかどうでもいい、だからないんじゃないかな

他を見ると「カラカラ」だけ不規則なものの後は一貫性がある(私→わたし→僕)。これは進むごとに4人、主にぼっちの心境が変化していったから?「わたし」時代はひとりぼっち東京、Distortion!!、ひみつ基地、ギターと孤独と蒼い惑星、あのバンド。ここまではあまり重くない曲ばかりなので普通の一人称と同じ音の「わたし」を使っている?要はありのままに近いぼっちたち

一方「僕」曲は小さな海、なにが悪い、忘れてやらない、星座になれたら、フラッシュバッカー(転がる岩は判断に入れて良いかわからん)でいずれも重い曲。感情が爆発していると言うとギターと孤独やラブソングが歌えないもそうだけど他人に対する負でない感情も多量に含まれている曲群がこちら。他人と関わってぼっちが得てしまったものを抱え込んでぶちまけきれていない(忘れてやらないは結構出してる感じするけど)。ある意味普通の人間になった証拠かもしれないけど今までなかったものを急に大量に抱え込んだから壊れる寸前、というか壊れてしまっている。その変化を一人称を「僕」にすることで表現している

では「私」は?結束バンド4人の一人称は基本的にいずれも「私」なのでこれを使うときは自己投影が最も強い時?「青春コンプレックス」はぼっちの生態を最も表している曲と言えると思うし分かりやすくぼっちの心境・決意も書かれている。そんなぼっちそのものとも言える曲だからこそ「私」を使ったのではないか。「私 俯いてばかりだ それでいい 猫背のまま 虎になりたいから」ここ後藤ひとり渾身のフレーズだと思うので「私」を使うのにふさわしいんじゃないでしょうか。「カラカラ」はリョウさんの激重ソングということもあってこちらも「私」を使うのが最適な曲だと思う。リョウさん要素のある曲があまりなくてこれとあのバンドに全振り感あるから余計カラカラで「私」を使うのはありなんじゃないかと

 

作詞者の方々がどこまで考えているか分からないけれど共通ワードがかなりあるし恐らくめちゃくちゃ練られているとは思う。本当の意味知りたすぎる。でも作った人たちそこまで考えてないんじゃないかな!

 

いい加減長いのでもう終わり。これでぼっち・ざ・ろっく!の感想シリーズも終了…じゃない!まだ書きたいことがある

 

そういえば次回予告のステッカー付いてるからこれでいつでも見てください!できるね

 

今回のアルバムに当然といえば当然だけど「グルーミーグッドバイ」が無かったから2期がないことはないんじゃないですかね。1期で終わらせるつもりならありそうだし。でもあれだね、続きを感じさせる終わり方しなかったから…。最後の「今日もバイトかー」はこれからもぼっちの日常は続くということの示唆。つまり2期はある!2期やるなら丁度ぽいずんやみ登場編から(宅録見学回から)なのでキリがいいしそのまま未確認ライオット編が始まる感じになるでしょう。でも2期なんてきっとないんだ…